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最高裁判所第二小法廷 昭和49年(オ)161号 判決

上告人

久枝澄子

右訴訟代理人

寺口真夫

村井瑛子

被上告人

桜井澄子

被上告人

矢島嘉一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人負担とする。

理由

上告代理人寺口真夫、同村井瑛子の上告理由第一点について。

所有権ないし賃貸権限を有しない者から不動産を賃借した者は、その不動産につき権利を有する者から右権利を主張され不動産の明渡を求められた場合には、賃借不動産を使用収益する権原を主張することができなくなるおそれが生じたものとして、民法五五九条で準用する同法五七六条により、右明渡請求を受けた以後は、賃貸人に対する賃料の支払を拒絶することができるものと解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人桜井が、同法五七六条の趣旨に従い、被上告人矢島から本件店舗の明渡請求を受けたのちは、上告人に対する賃料の支払を拒絶することができるとした原審の判断は、右説示したところに照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

同第二点について。

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人矢島の上告人に対する所論の解除権行使が信義則に反し又は権利の濫用にあたるものとは認められない。原判決に所論の違法はなく、所論引用の最高裁判例は、事案を異にし、本件に適切とはいえない。論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(小川信雄 岡原昌男 大塚喜一郎 吉田豊)

上告代理人寺口真夫、同村井瑛子の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。

第一点 原判決は上告人の被上告人桜井澄子に対する請求を棄却するにあたり、「右両名間の契約を店舗の転貸借と認定したうえで、右被上告人の上告人に対する賃料不払の事実について民法第五五九条(「本節ノ規定ハ売買以外ノ有償契約ニ之ヲ準用ス但其契約ノ性質カ之ヲ許ササルトキハ此限ニ在ラス」)によつて同法第五七六条の規定(「売買ノ目的ニ付キ権利ヲ主張スル者アリテ買主カ其買受ケタル権利ノ全部又ハ一部ヲ失フ虞アルトキハ買主ハ其危険ノ限度ニ応シ代金ノ全部又ハ一部ノ支払ヲ拒ムコトヲ得但売主カ相当ノ担保ヲ供シタルトキハ此限ニ在ラス」)を準用して、右被上告人につき債務不履行の事実はないと認定した。

しかしながら、右は、本来民法第五七六条を準用すべきでない場合に右条項を準用したものであつて、明らかな法令違背というべきである。

上告人は同人と被上告人桜井との間の契約は店舗の転貸借ではなく、雇傭及び準委任の混合契約であるいわゆる経営委任契約であると主張するものであるが、仮りに右契約が店舗の転貸借であり契約に基き被上告人桜井が上告人に支払うべき一か月当り五七、〇〇〇円という金員が賃料であるとしても、右被上告人が上告人に対し昭和四三年五月分以降の賃料を支払わなかつた事実に対し、民法第五五九条により同法第五七六条を準用したことは全く失当であつて、右被上告人は債務不履行の責を免れないというべきである。

原判決は、「……被告は、原告から賃借した本件店舗については所有者たる矢島から無断転貸を理由に明渡請求を受けており、右店舗をせつかく賃借しながらその権利を失うおそれのあることは右認定事実から十分に推認されるから、被告は、民法第五五九条で準用する同法第五七六条の趣旨に従い、右明渡請求を受けた以後は原告に対し賃料の支払を拒絶することができるものといわなければならない。」とする一審判決の内容を引用し、さらに「(もつとも、売買と賃貸借はともに有償契約であるとはいえ、賃料は物の利用の対価であり、売買代金は財産権移転の対価であるという性質上の差異が認められるが、この性質上の差異があるため賃料について、代金の支払に関する民法第五七六条の規定の準用を否定しなければならないような合理的根拠はみあたらないから右性質上の差異があることは同法第五五九条但書の場合に該当しない。)」と判示する。

原判決は安易に右( )内の如く判示するが、賃貸借の如く財産権の終局的移転を生じないで、目的物の使用の対価を支払う契約には、賃料の支払に関して民法第五七六条の規定が準用される余地のないことはすでに通説である。(注釈民法第一四巻一一九頁〜一二〇頁、法律学体系コンメンタール篇三債権法〈民法Ⅰ〉三三一頁、我妻民法講義V2債権各論中巻一、二四八頁)

百歩譲つて右条項が賃貸借についても一般的には準用の余地があるとしても、右条項を本件について準用したことは以下に述べるように全く法令の適用を誤つたものといわなければならない。

賃貸借において賃料の支払は、目的物の使用収益に対する対価であり、賃貸権限に瑕疵があつたり、第三者の異議があつたりしても、賃借人が現実に使用収益した以上、賃料の支払を拒むことができないのである。(大判昭和一〇年三月九日判決全集二・一五・二〇)これを転貸借にあてはめていえば、無断転貸につき目的物の所有者から異議があつたとしても、転借人が現実に使用収益した以上、転借人は転貸人に対する賃料の支払を拒むことができないのである。

本件の場合、なるほど被上告人矢島嘉一が、上告人と被上告人桜井間の契約は無断転貸であるとして、上告人に対しては同人と被上告人矢島との間の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなしたうえ、本件店舗の明渡を求める訴訟を提起し、被上告人桜井に対しては内容証明郵便にて本件店舗の明渡を求める意思表示をなしたが、右被上告人に対してはそれ以上明渡を求める訴訟を提起することはせず、右被上告人は被上告人矢島から明渡の意思表示を受けてからも、少くとも原審終結時に至るまで終始事件店舗を現実に使用収益し続けてきたのである。

原判決は前示のように「矢島から無断転貸を理由に明渡請求を受けており、右店舗をせつかく賃借しながらその権利を失うおそれがある」という一審判決内容を引用しているが、右にいう明渡請求を受けてからも以後続けて現実に本件店舗を使用収益しているのであるから、昭和四三年五月分以降、上告人が被上告人桜井に対する契約解除の意思表示をなした同年七月九日分までは、賃料支払義務を負担し、右支払を保留すべき何らの事由も存在しないのである。従つてそもそも原判決が被上告人桜井が本件店舗の賃借権を失うおそれがあるといつて、権利喪失の危険性を問題にしていることはすでに現実に使用収益をしたという事実を無視するものであつて全く意味をなさないが、原判決が右危険性を問題にしているのでこの点について敢えて付言するならば、被上告人桜井が被上告人矢島から内容証明郵便による明渡請求を受けただけでは、被上告人桜井が本件店舗を明渡さなければならない具体的な危険性は全く存しないのである。仮りに被上告人桜井が被上告人矢島から明渡の訴訟を提起されている場合を想定してもそれだけでは明渡の危険性はいまだ具体化しているとはいえないのであるが、本件では被上告人桜井は被上告人矢島から訴訟提起を受けておらず、かえつて右両被上告人は同一弁護士に事件処理を依頼しているのであつて、被上告人桜井が被上告人矢島から訴訟提起を受ける可能性は皆無に等しく、それどころか逆に被上告人矢島は被上告人桜井の本件店舗の使用を容認していることは明らかである。

原判決のいうように、無断転貸につき建物所有者から異議をいわれた以上、転借人は転貸人に対する賃料支払を拒絶できるということになれば、無断転貸の場合も転貸人と転貸人との間の契約は有効に成立しているということは、殆んど意味をもたなくなるであろう。

以上述べた如く、本件について、民法第五五九条により同法第五七六条を準用した原判決は法令の適用を誤つたものといわざるを得ない。

第二点 〈省略〉

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